障がい者福祉の歴史 平成の大転換政策「支援費制度」の功罪

戦後から始まった日本の障がい者福祉政策の中で、歴史的な転換となったのは2003年に導入された「支援費制度」です。

支援費制度が生まれた背景、制度がもたらした障がい者福祉の変革と課題、そしてその後の福祉政策に与えた影響を振り返ります。

○障がい者が「利用者様」になったインパクト

行政処分としてサービスを決定していた措置制度から、支援費制度では、障がい者がサービスを選択し、契約をする制度に変わりました。支援費制度とは、行政からの支給が「措置費」から「支援費」に変わったことが語源です。サービスを提供する事業者から、障がい者が「利用者様」と呼ばれるようになりました。

当時の情勢は、2001年に国連で「障害者の権利および尊厳を保護・促進するための包括的・総合的な国際条約」決議が採択されるなど、障がい者福祉における国の責任が増していました。

一方、日本の財政はバブル崩壊以後の経済ダメージが激しく、すでに700兆円程度の財政赤字に転落しています。

民間活用による福祉サービスの向上と、財源の約半分を地方へ移管することで国家財政負担を軽減することの両立を目指して導入されたのが支援費制度です。

この当時から、2000年に導入された介護保険制度に障害者福祉を組み入れる検討は行われています。しかしさすがに介護保険の保険料を財源にする案は見送られ、支援費の財源は税収となりました。

なお支援費制度の対象となるサービスは「身体障害者、知的障害者、障害児福祉サービスのうち、現在措置制度によってサービス提供がなされているもの」と狭義に定義され、措置制度の対象外である、小規模通所授産施設でのサービスや手話通訳事業など、そして精神障がい者や難病患者へのサービスは明確に規定されずに、原則として支援費の対象外とされています。

○需要の顕在化と財政破綻の功罪

大きな目的の一つが国家財政の維持でしたが、支援費制度導入初年度に100億円超の予算超過となり、国の補助予算が組まれました。

これはホームヘルプサービスなどの居宅サービスの利用実績が、措置制度時代に比べ、2倍近く伸びたことが主因です。

サービス利用が伸びた理由は大きく2つあります。

サービスを受けたくても行政のサービス拠点が無かったエリア、または少なかったエリア、つまり潜在需要があるエリアに民間のサービス事業所が進出したことで、新規にサービスを利用する障がい者が増加したこと。

そして、これまでの措置制度における一律的な行政判断が、各地方自治体によって上乗せ判断が可能になったことです。

このことは、都道府県や市町村単位での福祉サービスに格差をもたらしました。当時のホームヘルプサービス利用時間実績は、都道府県間の最大格差が4.7倍あります。また都道府県ごとの人口当たりの支給決定者の数は最大で7.8倍の格差になりました。

支援費制度導入2年目には、国の予算超過額が200億円を超え、国家財政面において支援費制度は実質破綻しました。

地域格差の問題はありますが、支援費制度の導入によって、障がい者の福祉サービスニーズが掘り起こされ、そのことが財政破綻を招くことになりました。しかしながら、これまで封印されていた障がい者のサービス需要が顕在化したことは、支援費制度の功績です。

○2006年障害者自立支援法への影響

2006年には国連総会で「障害者権利条約」が採択されます。掘り起こされた障がい者のサービス需要への不十分な対応、措置制度からの単純移行に伴う法の未整備、そして財源の不足など、2005年から2006年の日本の障がい者福祉の状況は、「障害者権利条約」を批准できるレベルではありませんでした。日本が同条約を批准したのは2014年で、141番目の締約国です。

財政的に破綻した支援費制度に変わって、2005年には、国際標準の障がい者福祉の実現と財政の両立を狙った障害者自立支援法が公布されます。新法の内容には、支援費制度が与えた大きなインパクトが色濃く反映されています。以下が主な支援費制度のレガシィーです。

・これまで曖昧であった、法律上の障害者を定義「この法律において障害者とは、身体障害者、知的障害者のうち18歳以上である者、及び精神障害者のうち18歳以上である者をいう」。

・地域間格差を解消するために市町村にサービス提供の一元的な提供責任を定める。

・支給決定のプロセスの明確化と透明化のために、障がいの状態を示す全国共通の尺度として「障害程度区分」を導入する。

・「応能負担」から「応益負担(原則1割)」へと移管し、財源の負担を軽くする。

支援費制度がもたらした財政破綻のインパクトがあまりにも大きかったために導入された「応益負担」は、障がい者からの猛反発にあい、障害者自立支援法は2010年に「応能負担」への改正に追い込まれました。

これによって障害者自立支援法は悪法であったと評価されますが、しかしながら、支援費制度のインパクトによって顕在化した「制度の谷間の障がい者」「地域格差」「決定プロセスの曖昧さ」などの課題は、多くの問題はあるものも、小さな一歩は踏み出しています。

日本の障がい者福祉が、次のステージに進むのは、2012年の「障害者総合支援法」の公布まで待ちます。これによって「自立の支援」から「障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律」に変わり、障がい者の範囲に難病等が追加され、障がい者に対する支援の拡充などの改正が行われました。

○支援費制度が残した今に残る課題

障がい者福祉の歴史における大転換政策であった支援費制度の導入以後、障がい者福祉サービスを提供する事業者は飛躍的に増加し、サービスは多様化し、その質も全般的には向上しています。

障がい者側が利用するサービス選び、そのサービスを提供するのは主に民間事業者であり、行政は主に判定と支給を行う。この基本スキームは、これからも継続すると思われます。

しかしながら支援費制度が残した、財政、行政、民間、そして障がい者側に関わる課題は今に残ります。

日本の財政赤字は拡大しています。現在の応能負担の「高額所得者」の基準や「負担率」は、法律上政令で変えることができます。いつ、どのような負担に変わるのか、分かりません。

障がいに等級を付与することは「障がいの社会モデル」に反するため、現在では「障害程度区分」から「障害支援区分」と名称が変わっていますが、行政が障がい者に等級を付与して、サービス提供に制限を与えることができます。完全な「支給決定のプロセスの明確化と透明化」は困難であり、自治体の財政状況が主因となる地域格差は、なくなったとはいえません。

障がい者福祉の分野に、数多くの民間事業者が参入しています。例えばサービスの質が悪い放課後等デイサービス事業者が問題になったことがあります。支援費制度がもたらした、官から民へのシフトは、自由経済の必然としてサービスの玉石混合をもたらします。

そして障がい者側が、何を望んでいるのかを正確に発信し、良いサービスを正しく選択する「利用者様」にならなくてはなりません。特に重度重複障がい児・者とその家族にとっては、正解がみえない、重い課題です。

(本稿は2021年1月に執筆しました)

別稿で「障害者総合支援法の大きな論点」を掲載しています。ご参照ください。

2020年の障がい者雇用 法定雇用率 目標未達成の状況

厚生労働省から2021年1月15日付で「令和2年 障害者雇用状況の集計結果」が公表されました。これは「障害者雇用促進法」に基づいて毎年6月1日付で実施する、事業主からの雇用状況報告の集計結果です。

「民間企業」「公的機関」「独立行政法人等」の3部門とも、全体としては前年よりも障害者雇用者数、実雇用率ともに向上しています。集計された雇用されている障がい者の総人数は、約65万人になります。

しかしながら、障害者雇用促進法の対象となる、全ての企業や機関が法廷雇用率目標を達成しているわけではありません。公表された主な目標未達成事項をまとめます。なお「人数」は、ダブルカウント制度があるので必ずしも正確ではありません。ご了承ください。

○民間企業の過半数が目標未達成

法定雇用率達成企業が48.6%。未達成企業がまだ過半を占めます。前年2019年6月の達成企業は48.0%だったので、このペースでの雇用状況の好転が今後も進むと、2022年頃には法定雇用率達成企業が50%を超えるかもしれません。

○「0人雇用」企業が約3万社

法定雇用率未達成の企業は52,742社になります。その中で、障がい者を1人も雇用していない「0人雇用」企業が、30,542社あり、目標未達成企業の57.9%を占めます。

また雇用目標の不足人員数が1人以下である「1人不足企業」が、「0人雇用」企業を含めて、目標未達成企業の65.6%を占めます。

最初の1人、あと1人の障がい者雇用ができない企業が多数あるのが、2020年の現状です。

○特例子会社で働く人は約6%

2020年6月時点での特例子会社の総数は542社で、前年よりも25社増加しています。そこで雇用されている人の総数は約3万8千人。1社平均で約70人です。

集計された民間企業での雇用総人数約57万人のなかでは、特例子会社で働く人は少数です。民間企業で働いている障がい者の9割以上は、一般企業での雇用です。

○国の機関は実質100%達成

民間よりも高い法定雇用率目標が設定されている公的機関の中で、「国の機関」は45機関中44機関で目標を達成しています。

未達成だったのは「地方裁判所」で、不足雇用人数は「2名」。ただし2020年10月1日時点で解消されたと報告されています。

国の機関に在籍している障がい者総数は9,336人。絶対人数としては、少数です。

○他の「公的機関」「独立行政法人等」の未達成状況

「国の機関」以外の「公的機関」及び「独立行政法人など」の状況です。実績の悪い順に並べます。

「都道府県等の教育委員会」は、47機関中32機関が未達成。未達成率は68.1%。

「市町村教育委員会」は、54機関中30機 関が未達成。未達成率は55.6%。

「市町村の機関」は、2,465機関中742機関が未達成。未達成率は29.4%。

「地方独立行政法人等」は、174法人中47法人が未達成。未達成率は27.0%。

「国立大学法人等」は、89法人中19法人が未達成。未達成率は21.3%。

「都道府県の機関」は、「知事部局」は47機関中5機関が未達成、「知事部局以外」は112機関中12機関が未達成。合計で未達成率は10.7%。

「独立行政法人等」は、91法人中9法人が未達成。未達成率は1.0%。

「国の機関」以外の公的機関は、雇用率目標は達成できていません。

○行政指導および企業名公表の実績はゼロ

障害者雇用促進法では、この毎年6月の状況報告に基づき、実施状況が悪い企業に対して、順に以下のような行政指導等を行うことが定められています。

・公共職業安定所長による「障害者雇入れ2か年計画作成命令」

・計画1年目の12月に「障害者雇入れ計画の適正実施勧告」

・計画期間終了後に9か月間の「特別指導」

・「企業名の公表」

公表された2019年度の実績は、いずれも0社でした。つまり、障害者法定雇用率は未達成であっても、障がい者雇用の努力をしない、悪質な企業は1社もありませんでした。

全体では障がい者の雇用目標は達成できていません。しかしながら2020年も、社会全体では一歩前に進みました。

(本稿は2021年1月に執筆しました)

別稿で「障害者雇用不正計上対策 公務機関での障害者活躍推進計画の策定」を掲載しています。ご参照ください。

日本の障がい者福祉の歴史 知っておきたい過去の常識

合理的配慮の提供、障がいの社会モデルなどに代表される、現在の障がい者福祉の常識と、過去の障がい者福祉の常識は異なります。障がい者福祉の黎明期から、忘れてはならない日本の障がい者福祉の歴史上のポイントを、7つの視点から紹介します。

○名称の変遷

法律や制度において障がいに関わる名称・呼称が制定されています。その時代の常識がうかがえる、戦後の主な名称の制定と改正の歴史を抜粋します。

・1946年「官立盲学校及び聾唖学校官制」公布

・1947年「学校教育法」が公布され、「養護学校」及び「特殊教育」を規定

・1947年「職業安定法」が公布され、「身体障害者公共職業補導所」を設置

・1956年「公立養護学校整備特別措置法」公布

・1960年「精神薄弱者福祉法」制定

・1966年「重度精神薄弱児扶養手当法」から、支給対象を拡大して「特別児童扶養手当法」へ改正

・1981年「障害に関する用語の整理のための医師法等の一部を改正する法律」が公布され、つんぼ・おし・盲の呼称が改められる

・1988年「精神病者監護法(1900年制定)」が「精神保健法」へ改正

・1993年「職業能力開発促進法」が改正され、「障害者職業訓練校」を「障害者職業能力開発校」へ改称

・1995年「精神衛生法」から「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」へ改正

・1998年「精神薄弱の用語の整理のための関係法律の一部を改正する法律」が公布され、法令上「精神薄弱」の用語が「知的障害」に改められる

・1999年「精神薄弱者福祉法」から「知的障害者福祉法」へ改正

・2006年「学校教育法」が改正され、「盲学校」「ろう学校」「養護学校」が「特別支援学校」に一本化される

○高木憲次先生の定義

肢体不自由児療育運動で高名な高木先生は、1934年の講演で肢体不自由児を以下のように定義しました。

・智能は健全である

・整形外科的治療により生産的に国家社会に尽すことができる

「整肢療護園」の開園は1942年です。

現在からみれば、戦後直後に制定された福祉三法の、「経済的自立可能性」を前提にした、「訓練主義的」な思想の前段階といえる考え方です。もちろん肢体不自由児支援事業を成功させるために、一般受けするための表現でもあったはず。裏を返せば、知的障がい者や社会活動ができない重度障がい者は、生きづらい時代でした。

高木先生は、脳性麻痺などの重度重複障がい児を「不治永患児」と呼び,肢体不自由児とは異なる体系での療育の必要性を訴えています。

民法及び民法施行法が改正され、身体障害が準禁治産宣告の要件から廃止されたのは1979年です。

○重度重複障がい児・者は制度の狭間

身体そして知的に重度な障がいのある児は、1948 年に制定された「児童福祉法」他の福祉関連法では、障がい福祉の対象ではありませんでした。

身体障がい児のための「肢体不自由児施設」と、知的障がい児のための「精神薄弱児施設」は制度設計されましたが、いずれも「独立自活に必要な知識を与えることを目的とする施設」と定義されたため、重度重複障がい児は受け入れられません。

幾多の苦難を乗り越えて、重度重複障がい児のための施設の草分けとして有名な「島田療育園」「びわこ学園」「秋津療育園」が認可されたのは1960年代です。

島田療育園に大蔵省から研究費として 400 万円の委託費が認められたのが1961 年。そして1963 年に「厚生省事務次官通達」で「医療法に基づく病院であって重症児の療育に適しているもの」と指定されました。ただし「医療法による病院であるが 18 歳未満」という年齢制限が適応されています。

年齢制限が撤廃されたのは1966 年の厚生省事務次官通達改訂で、「身体的・精神的障害が重複し、かつ、それぞれの障害が重度である児童および満 18 歳以上の者」とされました。

重度重複障がい児の呼称は、1967 年の児童福祉法改正で「重症心身障害児」と定義されています。

○精神障がい者の人権~ライシャワー事件と宇都宮事件

精神障がい者は、過去取締りの対象でした。1875年には「路上の狂癲人の取扱いに関する行政警察規則」が定められています。現在でいう強度行動障害者なども該当していたはずです。

1900年には「精神病者監護法」が制定され、国ではなく「家族」などの責任で精神障がい者を隔離し、その監視権を警察にもたせています。

1950年に「精神衛生法」が公布されましたが、精神障がい者の入院や隔離、その責任は家族という基本的な政策は、明治以来変わっていません。

そして1964年に、「精神分裂症」の青年が、米国ライシャワー駐日大使を刺傷する事件「ライシャワー事件」が発生し、世論はより厳しい精神障がい者の隔離、監視へと傾きました。その結果、1965年に「精神衛生法」は、より社会的防衛を強化する改訂が行われました。

これは当時としても世界の常識とは異なる政策で、1968年には、WHOが「クラーク勧告」に基づき、日本の閉鎖的収容主義的な精神医療の在り方を非難しています。

その後も永く日本の精神障がい者福祉の在り様は変わりませんでしたが、1984年に、精神病院内で著しい人権侵害がおこなわれている「宇都宮事件」が明らかになりました。

この問題は「国連人権小委員会」でも取り上げられ、「日本における精神障害者の人権と処遇に関する国際法律家委員会及び国際医療従事者委員会合同調査団の結論と勧告」が1985年に発表されています。

このような国際社会の圧力等を契機に精神衛生法は改正されて、1988年に精神保健法として施行されています。日本における精神障がい者の人権は、平成時代になってやっと社会的に認められ始めました。

しかし家族責任主義はまだ残ります。1998年には、仙台地方裁判所が精神障がい者の家族に対して、1億円の損害賠償を命じる判決を行いました。これを契機に1999年に「精神保健福祉法」が改定され、家族の「自傷他害防止の監督義務」は法文から削除されました。

○障害児の全員就学体制と分離教育

インクルーシブ教育は、日本では取り組みが始まったばかりの教育システムです。

それまで就学猶予・免除の扱いとされてきた障がい児の養護学校全員就学は、1973年に義務制の実施を予告する政令が公布され、1979年に実施されました。

世界的にはこの時期に、統合教育、そしてインクルーシブ教育への取り組みが始まっていますが、1980年代以後も、日本では原則分離の教育形態が障がい児教育の基盤です。

2006年には学校教育法が改正されて、特別支援教育は特別支援学校に一本化されましたが、原則分離の教育形態に変更は加えられていません。

○らい予防法の廃止と難病患者への福祉行政

患者が強制隔離される「らい予防法」が廃止されたのは、1996年。

患者の差別と偏見をあおる「エイズ予防法」が「感染症予防法」に改正されたのが1998年。

一方で、身体障がい、知的障がい、精神障がいに該当しない難病患者は、永く福祉制度の狭間におかれていました。難病が明確に障がい者福祉の対象になるのは、2010年代になってからです。

○障害者自立支援法の失敗

日本の障がい者福祉の歴史で、2006年から施行された「障害者自立支援法」ほど、多くの問題点が指摘され、全国的な反対運動が起きた政策はありません。

それまでの「支援費制度」が財政的に破綻したため、福祉サービス利用者に費用の10%を負担させる制度です。政府はこれを「応益負担」、または「定率負担」と表現して、障がい者に理解を求めました。しかし政府の常識は、障がい者にとっては非常識でした。

利用者の大反対運動により、早期に改正された福祉制度ですが、行政に福祉サービスの財源がない事実は、現在も変わりません。「介護保険」財源への移行や、「応能負担」の増加などが常に検討されています。「障害者自立支援法」は、形を変えてこれからも繰り返される可能性がある政策として、日本の障がい者福祉の歴史上、忘れてはならない行政府の失敗作です。

(本稿は2021年1月に執筆しました)

別稿で「障害者基本法が定めていることをやさしく解説」を掲載しています。ご参照ください。