障がい者への差別・偏見・暴力・虐待の日本史

2020年、愛知県の障がい者施設で、入所者に暴力をふるい死亡させたとして、施設職員が逮捕されました。その後の公判で、被疑者は暴力行為を認めています。

現代でもこのような障がい者への犯罪が発生していますが、日本の歴史には、忘れてはならない障がい者への、差別や偏見そして暴力と虐待の史実があります。主な犯罪事件や非人間的な法律制度を紹介します。

先ず、日本史に刻まれる障がい者への暴力、虐待事件を紹介します。

〇精神病院内でのリンチ殺人事件

もっとも有名なのは1984年に発覚した宇都宮病院事件です。少なくとも6人の暴行死が疑われています。ベッド数920床の病院で、1981年からの3年間で入院患者が222人亡くなっています。被害の全貌は不明で、殺された患者の脳が、臨床実験に使用された疑いがあります。また入院患者の強制労働、そして生活保護費の横領も行われていました。

宇都宮病院での虐待、リンチ殺人はあまりにも凄惨ですが、大阪の栗岡病院や大和川病院などでも、入院患者のリンチ殺人の事実が判明しています。程度の差はあれ、1980年代までの精神病院内は、狂気が支配している閉鎖空間でした。

1970年から朝日新聞で連載された「ルポ・精神病棟」は、悪臭と寒気に包まれた劣悪な監禁室、リンチ代わりに行われる電気ショック、牢番となっている精神科医など、当時の精神病院のあり様を今に伝えています。

〇会社での搾取、暴力、性的暴行

1990年代には、働く障がい者への虐待事件がいくつも明るみになりました。虐待の対象となったのは主に知的障がい者です。

悪質な犯罪事件として歴史に刻まれる会社は「サングループ」「水戸アカス」「大橋製作所」「札幌三丁目食堂」などです。

住み込みで働く障がい者への暴行、食事を与えない、風呂に入れないなどの虐待、給与の未払い、障害者年金の搾取、長時間労働や休みを与えない強制労働、そして女性従業員への性的暴行。障がい者雇用にかかわる給付金の不正受給まで手を染めた経営者もいました。

このような雇用現場での虐待は、障がい者側の意識の変化などにより、被害者が声を上げて発覚しました。それが1990年代に多かったということで、多くの現場で古くから、知られていない虐待が行われていたはずです。

〇大規模施設での集団暴行

障がい者入所施設での暴力や虐待は、数多くの事実が明らかになっています。その中でも2013年に発覚した千葉県立「袖ケ浦福祉センター養育園」の事件は、日本史に刻まれる集団暴行です。発覚したきっかけは、19歳の入所者が職員による暴力で死亡した傷害致死事件です。

そして調査の結果、2005年から2013年の間に、職員15人が虐待に関与していたと認定。過去10年間で利用者23人の被害が確認されました。また過去3度にわたり告発や情報提供があったのに、放置されていた事実も確認されています。

袖ケ浦福祉センター養育園は定員が170人の大規模収容施設で、強度行動障がいなど重度の障がいがある人が多数入所していました。すでに2023年までに閉鎖されることが決まっています。

次に法律や制度による障がい者差別の歴史を紹介します。

〇精神病者監護法による私宅監置

明治政府によって1900年に制定された法律で、家族の責任で精神障がい者を自宅の座敷牢に閉じ込めることを定めています。そして座敷牢が障がい者を閉じ込める機能があるかを、警察がチェックする制度です。

私宅監置の対象になった障がい者は、現在でいう精神障がい者に加え、重度の知的障がい者や身体障がいもある重複障がい者が含まれていました。

1910年代に、ある大学教授が個人調査した結果、全国で十数万人の障がい者が、座敷牢に閉じ込められていると推計しています。

日本では現在でも、精神障がい者は、保護者と医師の判断で、あるいは裁判所の決定で、強制的に精神病院に措置入院できることが法律で規定されています。精神障がい者は社会に野放しにしておくと危険である、という精神病者監護法の考え方は、現在まで生き残っています。

〇2万人以上に不妊手術

2018年に、旧優生保護法により不妊手術を強いられた被害者が、全国で訴訟を起こしました。

1948年に制定された旧優生保護法は、1996年まで続いた法律です。対象は障がい者に加え、素行不良などの経歴がある人まで広がります。判明している被害者数は24,991人です。

1948年の国会での旧優生保護法の提案者の陳述は「子孫の将来を考えるような比較的優秀な階級の人々が産児制限を行い、無自覚者などはこれを行わんために、国民総質の低下、すなわち民族の逆淘汰が現れてくる恐れがあります」と記録されています。

障がい者の結婚、妊娠、出産に対する差別意識は、まだまだ現代社会にもあるのではないでしょうか。

〇重度障がい児の就学免除

すべての障がい児が義務教育を受ける権利を得たのは1979年です。それまで重度障がい児は就学猶予、就学免除とされ、本人や保護者が希望しても、小学校中学校に入学することは出来ませんでした。

ノーマライゼーションの8つの原理が提唱されたのは1969年です。それから10年後の1979年頃は、世界ではインクルーシブ教育が重視され始めています。

しかし日本では、1979年の全入学化を契機に、障がい児は養護学校に入学することが、むしろ強要されるようになりました。それまで普通学校に通学していた軽度の障がい児が、養護学校に転籍させられるケースもありました。この差別は、現在でも解消されたとは言えません。

2014年に、日本は障害者権利条約を批准しました。日本は、障がい者へのすべての差別、偏見、暴力、虐待を排除する義務があります。

(本稿は2021年3月に執筆しました)

別稿で「日本の障がい者福祉の歴史 知っておきたい過去の常識」を掲載しています。ご参照ください。

障がい者福祉の歴史 ノーマライゼーション8原理をやさしく解説

1969年に示されたノーマライゼーション8原理は、その後の世界の障がい者福祉を変えるほどの強い影響を与えました。8原理の内容と、世界の障がい者福祉の歴史を振り返ります。

〇20世紀半ばの先進国の障がい者福祉

1940年代までには、多くの先進国は、知的障がい者あるいは精神障がい者を隔離収容する大規模施設を、国の障がい者福祉政策として整備しました。

施設の一般的なイメージは、都市から離れた場所にあり、百人以上を収容する規模があり、その敷地は塀に囲まれ、入所者は外出することも家族と面会することもほとんどなく、男女別10人規模の大部屋に住み、管理者の指揮監督のもとに生活しています。

ただし多くの先進国の考え方は、日本の精神障がい者への考え方のような、障がい者は危険であり社会から排除すべきという考えとは違い、治すことが出来ない知的な障がいのある人は、施設に隔離収容することで本人の生命を維持するとともに、家族の負担、そして社会的な負担が軽減できるとしていました。必ずしも悪意によるのではなく、当時の正義にもとづく養護のための隔離収容です。

障がい者の施設への収容は、多くの場合医師の勧めによりました。主治医に悪意があるわけではなく、施設入所が、本人と家族にとって最善の選択であることが、当時の医学の常識でした。

しかし施設での現実の生活は、ほとんどの場合、入所者は非人間的な扱いをうけていました。世界で最も早くノーマライゼーションの議論が始まったスウェーデンでも、施設内の衛生状態の悪さ、職員による障がい者への虐待などが記録されています。

〇初期のノーマライゼーションの考え方

1940年代後半からスウェーデンで、次いでデンマークで、ノーマライゼーション的な概念が提唱されはじめました。そしてデンマークの1957年法で「知的障がい者の生活をできるだけ普通に近いものにする」ことが定められました。一般的にこの法律がノーマライゼーションの始まりとされています。

しかしこの時点では、ノーマライゼーションは理念として確立されていません。現在のノーマライゼーションの理念に近い考え方も提唱されていましたが、以下の2つの点で別の考え方が有力であったようです。

一つはノーマライゼーションの対象となる知的障がい者の範囲の考え方です。ある程度までの軽度の障がい者が対象で、最重度の障がい者は別枠で保護すべきという意見です。

もう一つは、大規模施設そのものを否定するのではなく、施設内での障がい者の待遇を普通に近づけるという意見です。

つまり、ある程度労働に従事できる障がい者は、施設の中でもっと普通の生活ができるように改善すべき、という考え方が主流でした。ノーマライゼーションとは何か、という定義がまだ曖昧です。

〇8原理3つのインパクト

1960年代に入り、北欧諸国で知的障がい者を対象にしたノーマライゼーションの概念がさらに広がります。そして現在のノーマライゼーションの理念を確立する8原理が1969年に提唱されました。様々な見方がありますが、本稿では3つのインパクトとして紹介します。

・わかりやすい定義

簡易な表現で成文化し、明確にノーマライゼーションとは何かが定義されました。

・大規模施設の存在を否定

原理の中で、障がい者収容施設そのものが明確に否定されています。

・すべての障がい者が対象

障がいの状況、程度にかかわらず、すべての人がノーマライゼーションの対象です。そして当時としては、障がい者福祉の目的が「養護」から「支援」になったという理解が一般的でしたが、現在の視点から読めば「人権」まで見据えた考え方です。

ノーマライゼーション8原理は、北欧から米国に広がり、そして世界に広まりました。多くの先進国で脱施設化が進み、そして障がい者権利条約に象徴される、現在の取り組みにまでつながります

〇8原理の解説

何がノーマルであるのかは、生きている時代、生活圏、文化圏などで異なります。そして障がいのある人の状況、生活条件、人生の目標、意志などにも依ります。8つの原理は、その意味は明確ですが具体性はありません。何を指しているのか、なるべく具体的なイメージが浮かぶように解説します。

1.ノーマルな一日のリズム

起床から就寝までの1日の生活がノーマルであること。

ノーマルなイメージとしては、毎日着替える、食事は食卓でとる、学校に行く、仕事に行く、お風呂に入るなどです。

アブノーマルなイメージは、一日中ベッドで横たわっている、施設職員の都合で早い時間に夕食をとる、そして大人でも20時に消灯するなどです。

2.ノーマルな一週間のリズム

曜日別のスケジュールがあり、一週間の中に勤勉・勤労と交友・娯楽などが行われること。

ノーマルなイメージとしては、平日は学校や仕事に励み、土日は休みで友人と遊ぶ、のんびり家で過ごすなどです。

アブノーマルなイメージは、毎日同じ部屋で、一人で過ごすことなどです。

3.ノーマルな一年間のリズム

季節の変化の中で様々なイベントにかかわること。

ノーマルなイメージとしては、楽しみな夏休みがある、正月は家族が集まる、誕生日を祝ってもらえるなどです。

アブノーマルなイメージは、きまりきった毎日をただ過ごすことです。

4.ノーマルなライフサイクルによる経験

人として当たり前の成長の過程をたどること。その結果、年齢を重ねればその分経験や知識が増え、また思い出に浸ることができる環境であること。

ノーマルなイメージとしては、子供のころはキャンプに行く、青年期はおしゃれに興味を持つ、大人になると仕事をして結果に責任をもつことなどです。

アブノーマルなイメージは、成人になっても小児のころと変わらない毎日しかないことなどです。

5.ノーマルな個人の尊厳と自己決定権

自由や希望による要求を主張でき、周囲もそれを認めて尊重すること。

ノーマルなイメージとしては、住みたいところに住む、働きたい仕事に就く、好きな時に好きなところへ遊びに行くなどです。

アブノーマルなイメージは、施設の部屋でただ毎日テレビを見ているなどです。

6.生活している文化圏にふさわしいノーマルな性的な生活

恋愛、交際、同居、結婚などができること。1969年当時は異性とのイメージですが、もちろん現在では限定されません。

ノーマルなイメージとしては、学校やサークル、職場などで、出会いの場があることです。

アブノーマルなイメージは、施設内での生活で出会いの場が全くない、独立して所帯を持てないことです。

7.生活している国にふさわしいノーマルな経済的生活水準

平均的な経済水準が保証され、公的な金銭的援助を受ける権利があり、一方で人としての責任を全うできること。

ノーマルなイメージとしては、児童手当、老齢年金、最低賃金基準法のような保障を受けて、自由に使えるお金があり、必要なものや好きなものが自己責任で買えることです。

アブノーマルなイメージは、支給された年金がすべて施設の利用費に吸い上げられ、自由に使えるお金ないことなどです。

8.生活している社会にふさわしいノーマルな環境形態

普通の場所、普通の大きさの家に住み、地域の人と関わり合いながら暮らすこと。この原理で明確に大規模施設の収容生活が否定されます。

ノーマルなイメージとしては、自宅、あるいはグループホームなどで、地域で生活することです。

アブノーマルなイメージは、空きがないので遠隔の入所施設に移住することなどです。

1969年に提唱されたノーマライゼーション8原理は、その後の障がい者福祉に大きな影響を与えています。

(本稿は2021年3月に執筆しました)

別稿で「日本の障がい者福祉 戦後から2020年まで75年の歴史をやさしく解説」を掲載しています。ご参照ください。

障がい児政策 国連子どもの権利委員会から日本政府への勧告内容

児童の権利の尊重及び確保の観点から必要となる、詳細かつ具体的な事項を規定した「児童の権利条約」が1989年に国連で採択され、日本は1994年に批准しました。

各締約国は、条約をどのように実施してきたかに関する報告書を、条約発効後二年以内に最初の報告書、その後は五年ごとに「国連子どもの権利委員会」に対して提出します。

委員会はその報告書を審査し、締約国の政府に対して問題点の指摘や改善のための提案及び勧告を盛り込んだ総括所見を出します。

日本政府はこれまで、第5回までの報告書を提出し、1998年、2004年、2010年、2019年と、4度の勧告を受けています。

国連子どもの権利委員会の総括所見から、障がい児に関わることを中心に、主な勧告内容を抜粋します。

「1998年 第1回勧告」

「アジア太平洋障害者の十年」期間に行われた最初の勧告は、「差別の禁止」「情報の収集と活用」そして当時の日本ではまだ定着していなかった「インクルージョン」などが提案、勧告されました。なお、この総括所見における主なマイノリティとは、障がい児の他には「アイヌおよびコリアンに属する子ども」です。

以下が主な指摘と勧告です。

・障がいを持った子どもなどマイノリティな子の状況に関する、子どもからの苦情も含めた細分化された統計的データ、およびその他の情報を収集する仕組みが不充分である。

・障がいを持った子どもとなどマイノリティな子の関わりで、条約で定める一般原則「差別の禁止」「子どもの最善の利益」及び「子どもの意見の尊重」が、法律、政策、予算に十分に反映されていない。とくに学校制度において、一般の子どもたちが「参加権」を行使できないことが問題である。

・施設で暮らす子どもが多数存在することが問題であり、その上特別な支援やケア及び保護を必要とする施設の子どもに対して、家庭環境に代わる支援が不充分である。

・障害者基本法の定めに反し、インクルージョンは促進されず、障がいを持った子どもが教育に効果的にアクセスできない。

○障がい者の機会均等化標準規則に照らし、「児童の権利条約」を本当に実施する努力と、障がいを持った子どもの施設措置に代わる措置をとること。そして障がいを持った子どもに対する差別を減らし、社会へのインクルージョンを奨励するための意識啓発キャンペーンを企画実施することを勧告する。

「2004年 第2回勧告」

第1回勧告から6年後、国連では「障害者権利条約に関する国連総会アドホック委員会」第3回と第4回が開催されていた年に出された2回目の勧告は、1回目の勧告内容に加え「非政府組織との連携」と「障がい児福祉への予算増強」などが勧告されました。

・相変わらず、すべての子どもを対象とした、条約のすべての領域に関する包括的なデータが存在しない。更に18歳以下の子どもに配分される国の資源についての情報が存在しない。

○現行のデータ収集機構を強化し、必要であれば新しいデータ収集機構を設置することを勧告する。また、子どもを対象としたさまざまな部門のサービスの費用、アクセス可能性、質および実効性を判断するために、予算配分に関するデータを収集して、公共部門、民間部門およびNGO部門において、18歳以下の子どもに用いられている国家予算の額および割合を、把握することを勧告する。

・障がいのある子ども、その他のマイノリティ・グループならびに移住労働者の子どもに対する社会的差別が根強く残っている。

○社会的差別をなくし、また基本的サービスへのアクセスを確保するために、教育および意識啓発キャンペーンを行うなど、必要な積極策をとることを勧告する。

・子どもの権利の分野において政府とNGOとの間に交流が存在しない。

○条約および委員会の総括所見を実施する上で、日本政府がNGOと制度的に協力することを勧告する。

○「障害のある子どもの権利」に関する委員会の一般的討議、および「障害者の機会均等化に関する国連基準規則」に基づき、以下の措置をとるよう勧告する。

-障がいのある子どもに関わるあらゆる政策を非政府組織と連携しながら見直し、政策が障がいのある子どものニーズを満たし、条約および障がい者の機会均等化に関する国連基準規則に準ずるように改める。

-教育ならびにレクリエーション活動および文化的活動において、障がいのある子どものいっそうの統合を促進する。

-障がいのある子どものための特別な教育およびサービスに配分される人材と予算を増やす。

「2010年 第3回勧告」

「障害者権利条約」が発効したのが2008年。日本が同条約を批准するのは2014年です。その中間にあたる2010年の勧告では、日本政府の姿勢に厳しい注文がつけられました。以下はその一部です。

・2004年の勧告の多くが十分に実施されておらず、またはまったく対応されていないことを遺憾に思う。第3回総括所見において、これらの懸念および勧告をあらためて繰り返す。障がいに関する総括所見に掲げられた懸念事項に包括的に対応するため、あらゆる努力を行なうよう促す。

○条約が対象としている分野に関してデータが存在しない(障がいのある子どもの就学率ならびに学校における暴力およびいじめに関するものを含む)。権利侵害を受けるおそれがある子どもについてのデータ収集努力を強化することを勧告する。

○障がいのある子どもに対して実際に行なわれている差別を防止するために、意識啓発キャンペーンおよび人権教育を含む措置をとること。

・必要な設備および便益のための予算が不足し、障がいのある子どもの教育へのアクセスが引き続き制約されている。

○障がいのあるすべての子どもを全面的に保護するために、法律の新設または改正を行ない、その実効性を精査し、かつ問題を明らかにする監視システムを確立すること。

○障がいのある子どもの生活の質を高め、その基本的ニーズを満たし、かつインクルージョンおよび社会参加を確保する、コミュニティを基盤とするサービスを提供すること。

○差別を否定し、障がいのある子どもの権利および特別なニーズについて社会の理解を深め、障がいのある子どもの社会へのインクルージョンを奨励し、子どもと親の権利の尊重を促進する、意識啓発キャンペーンを実施すること。

○障がいのある子どものためのプログラムおよびサービスに対して、十分な人的資源および財源を提供するため、あらゆる努力を行なうこと。

○障がいのある子どものインクルーシブ教育のために学校を整備し、普通学校と特別支援学校との間で移行できることを含めて、障がいのある子どもが希望する学校を選択できるようにすること。

○障がいのある子どものために、また子どもとともに活動している非政府組織(NGO)に対し、国が援助を提供すること。

○教職員、ソーシャルワーカーならびに保健・医療・治療・養護従事者など、障がいのある子どもとともに活動している専門職員を対象とした研修を行なうこと。

○「障害者権利条約」を批准すること

○発達障がい者支援センターにおける注意欠陥・多動性障がい(ADHD)の相談数が増えている。ADHDの治療に関する調査研究および医療専門家の研修が開始されたことは良いことだが、ADHDが主として薬物によって治療されるべき生理的障がいと見なされていること、および社会的決定要因が正当に考慮されていないことを案じる。ADHDの診断数の推移を監視するとともに、この分野における調査研究が製薬産業とは独立に実施されることを勧告する。

「2019年 第4回勧告」

厳しい内容の3回目勧告から9年後、2010年代の日本の取り組みがある程度は評価され、第4回勧告は、より良くするための建設的な提案、勧告が盛り込まれています。

・さまざまな分野で達成した進展を歓迎する。

○障がいのある子どもに対して現実に行なわれている差別を減少、防止するための意識啓発プログラムやキャンペーン、人権教育を更に強化すること。

○障がいのある子どものための適切な政策およびプログラムを整備するために、障がいのある子どもに関するデータを恒常的に収集し、効率的な障がい診断システムを発展させること。

○ 専門教員および専門家を養成して学級に配置し、学習に障がいのある子どもの個別支援など適正な配慮を提供すること。そして統合された学級におけるインクルーシブ教育を発展させること。

○学童保育サービスの施設および人員に関する基準を厳格に適用し、その実施を監視すること。そしてこれらのサービスがインクルーシブであること。

○障がいのある子どもが、早期発見介入プログラムなど適切なケアにアクセスできる、即効性のある対策を実施すること。

○教員、ソーシャルワーカーならびに保健、医療、治療およびケアに従事者等、障がいのある子どもとともに働く専門スタッフを養成し増員すること。

○障がいのある子どもに対するスティグマおよび偏見をなくし、障がい児の積極的イメージを促進する目的で、意識啓発キャンペーンを実施すること。

○ADHDの子どもの診断が、医学的に正しく行われること。そして薬物の処方は最後の手段として、かつ個別アセスメントを経た後に初めて行なわれること。子どもおよびその親に対して薬物の副作用の可能性および非医療的な代替的手段について適正な情報提供を行うこと。ADHDの診断および精神刺激薬の処方が増加している根本的原因について研究すること。

・第6回・第7回統合定期報告書は2024年11月21日までに提出すること。かつこの総括所見のフォローアップに関する情報を当該報告書に記載すること。

4次にわたる「国連子どもの権利委員会」の勧告内容から、この20年間の障がい児政策と社会の変化が垣間見えます。

(本稿は2021年2月に執筆しました)

別稿で「ねむの木学園の歴史で知る 日本の障がい者福祉50年の歩み」を掲載しています。ご参照ください。