1969年に示されたノーマライゼーション8原理は、その後の世界の障がい者福祉を変えるほどの強い影響を与えました。8原理の内容と、世界の障がい者福祉の歴史を振り返ります。
〇20世紀半ばの先進国の障がい者福祉
1940年代までには、多くの先進国は、知的障がい者あるいは精神障がい者を隔離収容する大規模施設を、国の障がい者福祉政策として整備しました。
施設の一般的なイメージは、都市から離れた場所にあり、百人以上を収容する規模があり、その敷地は塀に囲まれ、入所者は外出することも家族と面会することもほとんどなく、男女別10人規模の大部屋に住み、管理者の指揮監督のもとに生活しています。
ただし多くの先進国の考え方は、日本の精神障がい者への考え方のような、障がい者は危険であり社会から排除すべきという考えとは違い、治すことが出来ない知的な障がいのある人は、施設に隔離収容することで本人の生命を維持するとともに、家族の負担、そして社会的な負担が軽減できるとしていました。必ずしも悪意によるのではなく、当時の正義にもとづく養護のための隔離収容です。
障がい者の施設への収容は、多くの場合医師の勧めによりました。主治医に悪意があるわけではなく、施設入所が、本人と家族にとって最善の選択であることが、当時の医学の常識でした。
しかし施設での現実の生活は、ほとんどの場合、入所者は非人間的な扱いをうけていました。世界で最も早くノーマライゼーションの議論が始まったスウェーデンでも、施設内の衛生状態の悪さ、職員による障がい者への虐待などが記録されています。
〇初期のノーマライゼーションの考え方
1940年代後半からスウェーデンで、次いでデンマークで、ノーマライゼーション的な概念が提唱されはじめました。そしてデンマークの1957年法で「知的障がい者の生活をできるだけ普通に近いものにする」ことが定められました。一般的にこの法律がノーマライゼーションの始まりとされています。
しかしこの時点では、ノーマライゼーションは理念として確立されていません。現在のノーマライゼーションの理念に近い考え方も提唱されていましたが、以下の2つの点で別の考え方が有力であったようです。
一つはノーマライゼーションの対象となる知的障がい者の範囲の考え方です。ある程度までの軽度の障がい者が対象で、最重度の障がい者は別枠で保護すべきという意見です。
もう一つは、大規模施設そのものを否定するのではなく、施設内での障がい者の待遇を普通に近づけるという意見です。
つまり、ある程度労働に従事できる障がい者は、施設の中でもっと普通の生活ができるように改善すべき、という考え方が主流でした。ノーマライゼーションとは何か、という定義がまだ曖昧です。
〇8原理3つのインパクト
1960年代に入り、北欧諸国で知的障がい者を対象にしたノーマライゼーションの概念がさらに広がります。そして現在のノーマライゼーションの理念を確立する8原理が1969年に提唱されました。様々な見方がありますが、本稿では3つのインパクトとして紹介します。
・わかりやすい定義
簡易な表現で成文化し、明確にノーマライゼーションとは何かが定義されました。
・大規模施設の存在を否定
原理の中で、障がい者収容施設そのものが明確に否定されています。
・すべての障がい者が対象
障がいの状況、程度にかかわらず、すべての人がノーマライゼーションの対象です。そして当時としては、障がい者福祉の目的が「養護」から「支援」になったという理解が一般的でしたが、現在の視点から読めば「人権」まで見据えた考え方です。
ノーマライゼーション8原理は、北欧から米国に広がり、そして世界に広まりました。多くの先進国で脱施設化が進み、そして障がい者権利条約に象徴される、現在の取り組みにまでつながります
〇8原理の解説
何がノーマルであるのかは、生きている時代、生活圏、文化圏などで異なります。そして障がいのある人の状況、生活条件、人生の目標、意志などにも依ります。8つの原理は、その意味は明確ですが具体性はありません。何を指しているのか、なるべく具体的なイメージが浮かぶように解説します。
1.ノーマルな一日のリズム
起床から就寝までの1日の生活がノーマルであること。
ノーマルなイメージとしては、毎日着替える、食事は食卓でとる、学校に行く、仕事に行く、お風呂に入るなどです。
アブノーマルなイメージは、一日中ベッドで横たわっている、施設職員の都合で早い時間に夕食をとる、そして大人でも20時に消灯するなどです。
2.ノーマルな一週間のリズム
曜日別のスケジュールがあり、一週間の中に勤勉・勤労と交友・娯楽などが行われること。
ノーマルなイメージとしては、平日は学校や仕事に励み、土日は休みで友人と遊ぶ、のんびり家で過ごすなどです。
アブノーマルなイメージは、毎日同じ部屋で、一人で過ごすことなどです。
3.ノーマルな一年間のリズム
季節の変化の中で様々なイベントにかかわること。
ノーマルなイメージとしては、楽しみな夏休みがある、正月は家族が集まる、誕生日を祝ってもらえるなどです。
アブノーマルなイメージは、きまりきった毎日をただ過ごすことです。
4.ノーマルなライフサイクルによる経験
人として当たり前の成長の過程をたどること。その結果、年齢を重ねればその分経験や知識が増え、また思い出に浸ることができる環境であること。
ノーマルなイメージとしては、子供のころはキャンプに行く、青年期はおしゃれに興味を持つ、大人になると仕事をして結果に責任をもつことなどです。
アブノーマルなイメージは、成人になっても小児のころと変わらない毎日しかないことなどです。
5.ノーマルな個人の尊厳と自己決定権
自由や希望による要求を主張でき、周囲もそれを認めて尊重すること。
ノーマルなイメージとしては、住みたいところに住む、働きたい仕事に就く、好きな時に好きなところへ遊びに行くなどです。
アブノーマルなイメージは、施設の部屋でただ毎日テレビを見ているなどです。
6.生活している文化圏にふさわしいノーマルな性的な生活
恋愛、交際、同居、結婚などができること。1969年当時は異性とのイメージですが、もちろん現在では限定されません。
ノーマルなイメージとしては、学校やサークル、職場などで、出会いの場があることです。
アブノーマルなイメージは、施設内での生活で出会いの場が全くない、独立して所帯を持てないことです。
7.生活している国にふさわしいノーマルな経済的生活水準
平均的な経済水準が保証され、公的な金銭的援助を受ける権利があり、一方で人としての責任を全うできること。
ノーマルなイメージとしては、児童手当、老齢年金、最低賃金基準法のような保障を受けて、自由に使えるお金があり、必要なものや好きなものが自己責任で買えることです。
アブノーマルなイメージは、支給された年金がすべて施設の利用費に吸い上げられ、自由に使えるお金ないことなどです。
8.生活している社会にふさわしいノーマルな環境形態
普通の場所、普通の大きさの家に住み、地域の人と関わり合いながら暮らすこと。この原理で明確に大規模施設の収容生活が否定されます。
ノーマルなイメージとしては、自宅、あるいはグループホームなどで、地域で生活することです。
アブノーマルなイメージは、空きがないので遠隔の入所施設に移住することなどです。
1969年に提唱されたノーマライゼーション8原理は、その後の障がい者福祉に大きな影響を与えています。
(本稿は2021年3月に執筆しました)