人生における最大級の不幸を思うその瞬間は、ある時訪れます。
先天性の障がいなら、出生前検診である程度の確度で解る場合、出生時の身体的な状況等により解る場合、1歳児検診くらいまでの身体的な発育発達の状態で解る場合、3歳以後に主に言語や学習能力などの面から解る場合、などがあります。
出生後に、大病や事故により障がいが伴うケースもあります。障がいといっても千差万別。一般には身体、知能、コミュニケーションなどに分類されますが、一人ひとりすべて状況は違います。成長に伴う状況の変化もあります。
子どもに障がいがあることを知るときは、ほとんどの方にとって、知らない世界の扉を開ける瞬間です。予備知識のある方は稀。この時点で、今後の人生をポジティブに考えられる人はまずいません。不安、心配、恐怖感などに苛まされます。
その一方で多くの賢明な方は、自らの理性や知性をフルに動員し、状況を正しく認識して最善の行動を模索し始めます。
情報のネットワークを広げ、障がいに対する専門的な知識の拡充、障がい児への医療福祉の現状把握、行政の支援内容、地域コミュニティの支援団体調査など、知らなかった世界に飛び出していきます。
ここからは哲学です。
子どもの障がいの状況、近親者の人間性がすべて個々別々ですから、一般論でいえる正解はありません。その時点で最善と考えた毎日を積み上げていきます。
健常と障がいの境はあいまいです。どんな子どもでも、等しく苦労があります。そういう真理を認めながらも、やはり子どもに、家族に、障がいがあるという現実は、大変なことです。
それでも、ほとんどの先人、先輩は、長い年月の積み重ねの末「この子がいてよかった」という結論に達しています。
(本稿は2019年11月に執筆しました)