横浜ユーラシア文化館・横浜都市発展記念館 車椅子見学ガイド バリアフリー情報

横浜ユーラシア文化館・横浜都市発展記念館 バリアフリー情報

横浜の歴史的建造物である「旧横浜市外電話局」にある二つの施設「横浜ユーラシア文化館」と「横浜都市発展記念館」のバリアフリー状況を紹介します。

「旧横浜市外電話局」

現在2つの施設がある旧横浜市外電話局は、昭和4年に横浜中央電話局の局舎として建てられました。戦後も電話局として使用されてきましたが、横浜市の施設になり、平成12年に歴史的建造物に指定されています。場所は日本大通り駅の上に位置します。

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現在の旧横浜市外電話局は4フロア構成です。

1Fが受付とミュージアムショップ。2Fが「横浜ユーラシア文化館常設展」。3Fは両施設共用の企画展示室。4Fが「横浜都市発展記念館常設展」です。

建物1F周辺には、いくつもの歴史的な遺構が展示されています。

横浜ユーラシア文化館・横浜都市発展記念館 バリアフリー情報

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古い建物なので元々はバリア構造ですが、全館車椅子でも利用できるバリアフリー施設に改修されています。バリアフリートイレは1Fに設置されています。古い意匠の玄関の先にあるので、周囲とのデザインギャップが面白いトイレです。

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「横浜ユーラシア文化館」

いったい何の施設なのか、名称を見ただけではなんだか解らない「横浜ユーラシア文化館」。対象エリアは中央アジアを中心にしてアジアヨーロッパ全域。歴史はシュメール文明から現代まで。あまりにも広く、永い歴史文化をテーマにした施設です。

エレベーターで2Fへ上がります。有料施設ですが障がい者減免制度があり、障害者手帳等の提示で、本人と介助者1名の入館料は無料に減免されます。受付で手帳を提示して入館手続きをしてださい。常設展示室内はバリアフリーで、車椅子での見学に大きな問題はありません。

2Fでエレベーターを下りると、モンゴルの家「ゲル」を再現した「スーホの部屋」という展示があります。館内展示は写真撮影不可ですが、ここはだけ可です。

この先の展示も、エリア的には現在のモンゴルから中国西部の砂漠地帯及び中東にかけてのエリアの文化が展示の中心です。

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常設展示は概ね題材別で、馬やラクダを題材にした土器類、衣服類、人形などに区分けされた展示です。

ただ展示資料はかなりクロスオーバーします。紀元前のシュメール文明の逸品から、近現代に近いものまでと多彩です。よく理解するには、人類史全般にわたる基礎知識が必要です。

この膨大な資料は、横浜市に在住した学者江上氏(1906年~2002年)が蒐集して横浜市に寄贈したものです。コレクションは、資料系が約2,500点、文献は25,000点ということ。「横浜ユーラシア文化館」で今見ている資料は、そのほんの一部にしかすぎません。

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「横浜都市発展記念館」

4Fの常設展はワンフロアで小規模ですが、基本的にバリアフリーです。有料施設ですが障がい者減免制度があり、障害者手帳の提示で本人と介助者1名の入館料が無料に減免されます。

名称の通り、明治以後の横浜の発展を紹介した資料館です。常設展示は「都市形成」「市民のくらし」「ヨコハマ文化」の3部構成。それぞれコンパクトにポイントが整理された展示です。

常設展をみると、関東大震災と横浜大空襲が2大悲劇です。発展して破壊され、また発展して焼野原になりました。続く敗戦後の米軍占領が横浜のエポックになった歴史を知ります。

昭和9年に大リーグ選手団が来日して、横浜公園球場で試合をした写真の展示があります。ホームランを2本打ったベーブルースが、バッドをもってポーズをとっています。

馴染み深い場所の昔の写真は面白い。特に昭和30年代、今から50年前くらいの写真は、現在の姿と比較可能です。中華街や関内、桜木町、元町などの、往時の様子を知ることが出来ます。

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歴史的建造物「旧横浜市外電話局」はバリアフリーに改修されています。「横浜ユーラシア文化館」と「横浜都市発展記念館」は、車椅子での見学が可能です。

馬車道駅の近くある歴史的建造物を活用した「神奈川県立歴史博物館」を別稿で紹介しています。ぜひご覧ください。

(本稿は2017年5月の取材に基づいています)