こんにゃくえんま源覚寺 車椅子お参りガイド バリアフリー情報

東京都文京区の「源覚寺」は、眼病治癒の閻魔様が有名で、他にも見どころがある寺院です。小さな境内は一部を除き車椅子でお参りができます。

「閻魔堂」の正面には、お供えされた「こんにゃく」が山積みです。車椅子でお堂の前に行くことができ、はっきりと閻魔様のお顔を拝めます。閻魔様の片目は黄色。眼病で悩む老婆に片目を差し上げたから、ということです。そして眼病が治癒した老婆が、感謝のしるしに好物の「こんにゃく」を絶ち、それを供えつづけました。眼病に御利益がある閻魔様です。

アクセス方法です。東京ドームに近く、春日駅および後楽園駅から徒歩3分程度です。駅からのルートはアップダウンがほとんどありません。

以前は境内に一般参拝者用の駐車スペースがありましたが、現在は廃止されました。シビックセンターの地下駐車場など、近隣には有料駐車場が複数あります。

境内に入るとすぐ左手にあるのは「御百度石」。

御百度石

並んで「お札所」があります。その先には「本堂」の階段入口があります。源覚寺本堂のご本尊は「阿弥陀仏」です。1624年の開創と伝えられます。

こんにゃくえんま源覚寺

ここまでの参道は車椅子で通行できるフラット路面です。

こんにゃくえんま源覚寺

そして参道の奥、正面に「閻魔堂」があります。お堂の中に木造坐像の閻魔様がいらっしゃいます。

正面に閻魔堂

閻魔堂の右手に2つの祠があります。

こんにゃくえんま源覚寺

「塩地蔵尊」は全身が塩でくるまれた二対一組の地蔵様。体の悪い箇所と同じ部分に塩をつけてお参りすると治る、ありがたい地蔵様です。車椅子から手が届くかは微妙な距離です。昔からお相撲さんからの信仰が篤いお地蔵様です。

こんにゃくえんま源覚寺

その横には「毘沙門天」で「小石川七福神」のひとつです。お堂前の路面はややデコボコですが、車椅子から気の強そうなお顔とお姿をしっかり拝むことができます。

こんにゃくえんま源覚寺

閻魔様、阿弥陀様、塩地蔵は、江戸時代の大火、戦時の空襲に被災していません。江戸時代そのままの御姿です。

参道の途中、本堂の反対側にあるのは「汎太平洋の鐘」。この釣鐘は、戦争中にサイパンに建てられたお寺にわたり、戦後「源覚寺」に帰還したもので、南方戦地での戦死者の鎮魂の鐘です。

こんにゃくえんま源覚寺

周囲には、おそらくサイパンから一緒に来たであろう、貝殻などが飾られています。この鐘楼の周囲は段差だらけで車椅子では近づけません。参道から見学します。

こんにゃくえんま源覚寺

周辺は江戸時代から門前町として栄えた「えんま商店街」で、個性的で歴史のあるお店があります。この一帯には隠れたグルメ店舗が点在。グルメ情報をチェックして、ご自身やご家族の障がいの状況に応じて上手にご利用ください。

えんま商店街

こんにゃくえんまの源覚寺は、小さなお寺でバリアフリー仕様ではありませんが、車椅子で参拝ができます。

近隣の「文京シビックセンター」の詳しいバリアフリー情報を別稿で掲載しています。ぜひご覧ください。

(本稿は2021年9月に加筆修正しました)

麻布山善福寺 車椅子お参りガイド バリアフリー情報

東京都港区麻布の善福寺は、都内では浅草寺に次ぐ古い歴史があると伝承される名刹です。境内へは坂道を上りますが、車椅子でのお参りは可能です。現地のバリアフリー状況を紹介します。

創建者は弘法大師。親鸞が訪れたことを契機に浄土真宗に変わった、と伝承されています。

織田信長に対抗した石山本願寺に、援軍の僧兵をおくった記録が残る古刹です。

幕末には、ここ善福寺が初代米国大使公使館になりました。ハリス公司以下、米国スタッフの居住地はここでした。

本堂のバックにあるのは「元麻布ヒルズ」。タワー棟は29階建てです。

麻布山善福寺には、弘法大師と親鸞に関わる史跡、そして米国大使公使館の史跡、そしてタワーマンションをバックにした現代の風景があります。

歴史と見どころ

アクセスの状況です。麻布十番駅から徒歩圏内です。

境内の駐車スペースは信徒専用です。参道の入口にスペースに余裕があるコインパーキングがあります。

麻布十番方面からアクセスした場合、境内の入口付近まではアップダウンはほとんどありませんが、境内に向かう最後の道が傾斜の強い上り坂です。元気な介助者がいれば、なんとか上ることが出来るレベルの坂道です。

最後の道が傾斜の強い上り坂

最初の見どころは、弘法大師が杖をついたら清水が湧きだしたという弘法大師の「柳の井戸」です。関東大震災や東京大空襲の際には、多くの都民の飲料になったと伝えられています。現在でも少量ですが湧水が流れています。

弘法大師の「柳の井戸」

そして井戸の横には柳があります。「柳の井戸」は坂道の手前の参道にあり、車椅子から見学できます。

弘法大師の「柳の井戸」

境内の「逆さ銀杏」は推定樹齢750年で、都内最大級の銀杏です。この銀杏は、親鸞が土に刺した杖から生まれたという伝承で、枝が下に伸びて逆さに見えないこともない巨木です。

親鸞の「逆さ銀杏」

また墓地エリア入口には、大きな親鸞の立像が建てられています。像は段差の上で車椅子では行けませんが、境内からでも像を見ることは出来ます。

大きな親鸞の立像

ここは初代米国大使公使館の地。境内には米国大使公使館を記念する碑があります。当時は攘夷の熱風が吹き荒れた時代。攘夷派の襲撃を受け、庫裏などが焼失しました。ハリス公司以下は、寺の僧の手配で難を逃れたと伝えられます。

境内には米国大使公使館を記念する碑があります

境内のバリアフリー状況です。「逆さ銀杏」と米国大使公使館を記念する碑には、車椅子で近付くことができます。

境内には福沢諭吉夫妻のお墓、越路吹雪さんの歌碑がありますが、このエリアは段差があり、車椅子で近付くのは苦戦します。

境内の公衆トイレにはバリアフリートイレがあります。

境内のバリアフリー状況

善福寺といえば、東京都杉並区に同名の寺院があり、地名もあります。杉並の善福寺は創建からの歴史が伝承されておらず、「麻布山 善福寺」との関係を示す確たる証拠はないそうです。

現在では幼稚園と葬儀場が目立ちますが、麻布山善福寺は歴史と伝承がある古寺です。坂道を上れれば、史跡が残る境内を車椅子でお参りできます。

東京都港区東麻布のスーパーマーケット「日進ワールドデリカテッセン」を別稿で紹介しています。ご参照ください。

(本稿は2019年9月の取材に基づいています)

徳川家の菩提寺 伝通院 車椅子お参りガイド バリアフリー情報

東京都文京区小石川の「伝通院」は、車椅子で境内に立ち入ることができる寺院です。現地の状況と寺院の歴史を紹介します。

伝通院

伝通院の寺歴概略です。開山は1415年。その後小さなお寺として続いていました。転機は1602年、徳川家康の生母である「於大(おだい)の方」が逝去。法名を「傳通院殿蓉誉光岳智光大禅定尼」と号し、この寺を菩提寺としたことから「傳通院」と呼ばれるようになり現在に至っています。

「でんづういん」と濁音で読みます。宗派は浄土宗。江戸最盛期には1000人の学僧が修行した大寺院であったと伝えられています。

伝通院の寺歴概略

伝通院は著名人の墓が多い寺院です。徳川家では、千姫、孝子の他、若くして亡くなった将軍の子息子女が多数。作家では佐藤春夫、柴田錬三郎、他。

著名人の墓標

指圧で有名な浪越徳次郎氏のお墓「指塚」もあります。指圧を模した墓標です。ちなみに浪越氏の指圧の学校は伝通院通りにあり、この学校にも指圧を表現したオブジェがあります。

浪越徳次郎氏のお墓「指塚」

空襲で全焼しているので、残念ながら歴史的な建造物は全く残っていません。ただし著名人のお墓は焼け残っています。現在の本堂は1988年に再建。山門は2012年に再建されました。

本堂は1988年に再建

文豪の作品にも登場します。代表は永井荷風。他にも、夏目漱石、二葉亭四迷、菊池寛、徳田秋声、岡本綺堂、中里介山・・・。現代では読まれることが少なくなっている文豪の作品に、伝通院はよく登場します。おそらく昔は、作品を読んでこの地を訪れる人も多かったのではないでしょうか。

司馬遼太郎さんの作品によれば、新撰組の近藤勇が師範代だったころの道場は、伝通院のすぐ隣にあったそうです。

文豪の小説の舞台

駅からはやや距離があり、かつ地形として高台の上にあるので、上り坂を行きます。地下鉄の春日・後楽園駅からなら「富坂」を上る、飯田橋方面からなら「安藤坂」を上る立地です。

車椅子でのアクセス

境内には40台を収容する駐車場があります。葬儀などが行われていない時は、一般参拝者も利用できます。ただし駐車場は砂利路面で、車椅子での移動は快適ではありません。

境内には40台を収容する駐車場

境内は全体的にバリアフリーではありません。

2012年に再建された山門は段差があり、車椅子では通行不能、横の車道から入ります。

山門は段差

1988年に再建された本堂は階段形式です。

再建された本堂は階段形式です。

境内に公衆トイレはありません。

古いお墓のエリアは、未舗装路や段差のある石畳路です。車椅子では、無理なく移動出来る範囲は限られます。

古いお墓のエリアは、未舗装路や段差のある石畳路

有名人の墓地エリアに入るには「事務所でお線香を買ってください」というルールになっています。

事務所でお線香を買ってください

周辺の状況です。江戸の仏閣密集エリアとしては「谷根千」が有名ですが、伝通院周辺も数多くの寺院が現存しています。明治期の廃仏毀釈の嵐に耐えたお寺群です。

本堂は1988年に再建文京西方方面へ抜ける伝通院のすぐ前の坂は「善光寺坂」。長野の善光寺と伝通院の交流の跡を伝える名称といわれています。

伝通院のすぐ前の坂は「善光寺坂」

伝通院は江戸初期から歴史の舞台になり、明治以後の文豪の作品にもたびたび登場するので、知名度は高いお寺です。しかし観光客がほとんど来ない、とても静かなお寺です。

文京区の「護国寺」の詳しいバリアフリー情報を別稿で掲載しています。ぜひご覧ください。

(本稿は2019年9月に執筆しました)