言葉で表現ができない、重い障がいのある人の「想い」を、他者が理解することは難しいことです。奇異な行動を「いつものこだわり」と表面的に理解する。または「理解できない」と分かる努力を放棄する。現実的には、そのようなケースが少なくないはずです。
障がいの状況は十人十色。「想い」は心の中にあるもの。重度な知的障がいがある人の想いが必ず分かる方法があるわけではありません。しかし実践と研究の積み重ねにより、「想い」にアプローチする「観点」は抽出されています。一般的には見落とされやすい5つの「観点」から、重度な知的障がいがある人の「想い」へのアプローチを紹介します。
○環境を考察する
身体障がいの分野では、段差解消などに象徴される「社会モデル」の考え方が浸透しています。一方、知的障がいの分野では、まだ「医学モデル」に偏重するケースが珍しくありません。
理解できない行動には、その行動をもたらす環境の問題があるはずです。長年介護をしている家族でも、家庭内環境の問題に気が付かないケースは珍しくありません。
本人の障がいと、生活環境の両面から、問題行動の要因を探るアプローチが有効です。
○能力と嗜好を整理する
「出来ること」と「やりたいこと」は必ずしも一致しません。本人が出来ることを組み上げて、目標とする生活を設計するケースが珍しくありません。
しかし重度の障がいがある人から、自分が「やりたいこと」を聞き出すことは困難です。「出来ること」「出来ないこと」と問題行動を分析し、「やりたいこと」を予測して、対策を考えます。能力と嗜好を整理して、重い障がいのある人の「想い」に近づく努力をします。
○不快の原因を追究する
自傷行為や奇声など、明らかに不快からくると判断される問題行動があります。何が嫌で不快なのかが本人から確認できない場合は、不快の原因を考えます。
音光や温湿度などの環境面、体の痛みなど体調面、大切な人がいない、好きな道具がないなどメンタル面、注意される、叱られるなどの対人関係など、原因の推計は可能です。
取り除くことができる不快の原因、出会う可能性を低めることが出来る不快の原因があります。
その一方で、本人に許容してもらう、我慢してもらう、慣れてもらうしかない原因もあります。この種の「取り除けない不快原因」への対応を丁寧に考えることは、重度の知的障がいがある人の想いを分かることに直結する重要な取り組みです。
○構造化の強弱を最適化する
強度行動障がいなど、家族や支援者が困る問題行動がある人への有効な施策が「構造化」です。スケジュール、物理的環境、関わる人などが、詳細に決まっていて、それがわかりやすく可視化されている状態を「強い構造化」とします。
これに対し、決め事が部分的であったり、曖昧なことがあったり、可視化領域が狭い状態を「弱い構造化」とします。
重度の知的障がいがあり、行動が不安定な状態の人には「強い構造化」が必要です。
その一方で、「強い構造化」は社会的ではありません。可能な限り「弱い構造化」に移行して、重度の知的障がいがある人に、社会スキルを身に着けていただくことが必要です。
この構造化の強弱を変えることで、重度の知的障がいがある人の内面がみえてきます。例えば、支援員の役割が途中で替わってもパニックを起こさないなら、「人」に関する構造化は少し弱められる可能性があります。
「強い構造化」状態で固定化するのではなく、注意深く強弱を最適化する取り組みが、重度の知的障がいがある人の「今の」想いの理解につながります。
○攻撃行動か否かを見極める
家族や周囲の関係者にとって、最も困る行為は、殴る、蹴る、引っ掻くなどの、他者への攻撃行動です。手に負えない場合は、縛る、閉じ込めるなどの強制措置、そして強い叱責などの懲罰行為が行われます。
攻撃行動にも必ず理由があります。なぜその人に攻撃を加えるのか、注意深く観察して、重度の知的障がいがある人の想いを推定し、その理由を取り除く対策を考えます。
攻撃行動が出現した場合、最初に見極めるのは、それが本人とって本当に攻撃行動が否かです。他者からみたら攻撃行動でも、例えば緊張感を発散するための、相手にダメージを与える意図のない行為なのかもしれません。
攻撃行動か否かの見極めは、難しい判断です。それまでの生活環境と対人関係、そして暴力行為の瞬間やその後の様子などを客観的に観察分析して、真相に迫らなくてはなりません。本当は発散行動だったのに、無差別な攻撃行動と誤認することは、重度の知的障がいがある人の本当の想いを間違えることであり、その対応策によっては、これまで培った信頼関係を失うなど重大な問題につながります。
言葉がなく、理解できない行動をする、重度の知的障がいがある人は、他者には分かり難い、本当の想いを抱えています。
(本稿は2020年10月に執筆しました)