日本の公的な障がい者福祉は、事実上戦後から始まりました。国家としての障がい者福祉がどのように形作られたのか、その歴史をたどります。最初に憲法が制定されました。
「日本国憲法」
障がい者福祉とは、障がい者の「人権」を守ることが目的です。人権を守るためには「社会福祉」が必要です。そして社会福祉を実現するためには「社会保障」が整備されなくてはなりません。
「人権」「社会福祉」「社会保障」の3つの観点から、国を規定する日本国憲法を確認します。
「人権」 憲法第11条
「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」
人権尊重主義を掲げる条項です。障がい者の人権は「与えられ」ます。
「社会福祉」と「社会保障」 憲法第25条
第1項 生存権 「すべて国民は,健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」
第2項 国の責務 「国は、すべての生活部面について,社会福祉,社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」
生存権を守るために、社会福祉と社会保障を実施する義務が国に課せられました。
ただし憲法では「月額○○万円以上の支給」など、具体的な社会福祉と社会保障の内容は定められていません。そのため、現行の社会保障の内容が不十分で、「健康で文化的な最低限度の生活を営む」ことが出来ないという訴訟が、戦後いくつも起こされています。法律解釈の議論としては「プログラム規定説」、「具体的権利説」、「抽象的権利説」などがありますが、司法としては「給付金が○○円だからといって、憲法違反とはいえない」、という判断が下されています。
では国がどんなに低額支給の社会保障しか実施しなくても、生存している、つまり生きていれば違憲ではないのか。憲法第11条には幸福追求権が定められています。
「幸福追求権」 憲法第11条
「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」
この規定により、お金や物などの物質的なサービスに限らず、自立した個人としての障がい者の「人格的利益の実現」をもたらす社会保障の実現が国に課せられています。
憲法により定められた「人権」「社会福祉」「社会保障」を実現するために、それを実施する法律が制定されました。生活保護法による公的扶助制度、児童福祉法による母子福祉や児童扶養制度、そして身体障害者福祉法、社会福祉事業法による障がい者福祉の枠組みなどです。また憲法では教育の権利と義務が定められています。
「教育の義務」憲法第26条
第1項 権利「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」
第2項 義務「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」
憲法による義務教育の定めにより、学校教育法による障がい児の就学が義務化されました。
法律に基づいて、どのような障がい者福祉が行われてきたのか。その始まりの歴史を振り返ります。
「生活保護法」 1946年・1950年
戦後の大混乱対策として1946年に成立した生活保護法は、緊急対策的な内容で「旧生活保護法」とされます。戦争で社会全体が貧困になり、国全体が貧困にあえいだ時代の制度です。
憲法施行後の1950年に成立した「生活保護法」が、障がい者を含む、憲法に基づいた法律による福祉の始まりです。
保護の柱は現在まで続く「生活扶助」と「住宅扶助」で、1950年当時の基準金額が、憲法25条の「健康で文化的な最低限度の生活を営む」ことが出来る金額には及ばないことは、当時の政府国会答弁の記録にも残されています。
以後、扶助対象者の規定の整備、扶助金額の合理的な算出方法の研究、そして福祉事務所など行政の担当窓口整備などが進められ、幾多の法改正を重ね、現在に至ります。
「児童福祉法」 1947年
18歳未満の児童福祉は、多くの戦争孤児が路上生活していた47年に制定されました。障がい児を含めて、子供の命を守り、教育を受けさせるための福祉の始まりです。
養子縁組による里親の制度化、乳児院など児童福祉施設の整備、児童相談所などの行政窓口の整備などが始まり、現在に至ります。
「身体障害者福祉法」 1949年
1948年にヘレンケラーが来日し、2か月間で22回の講演を行い、障がい者福祉の重要性を訴えています。
障がい者のための福祉政策として最初の対象になったのは、身体障がい者でした。49年に制定された身体障害者福祉法では、傷痍軍人を含めた中途障がい者、聾、盲の障がい者などを主な対象にして、必要な補装具の交付や指導訓練によって社会復帰をさせる、自立支援の福祉政策が中心です。法律的には、保護法ではなく、更生法でした。同年には、国立身体障害者更生指導所設置法が成立し、医療から構成訓練、そして就業支援を行う指導所が開設されています。
当時、なぜ対象が身体障がい者に限定され、知的障がい者や精神障がい者の福祉法は生まれなかったのか。正式な記録では確認できませんが、当時の関係者の供述では、財政上の理由と、問題の整理ができなかったことによると伝えられています。
精神薄弱者福祉法(現在の知的障害者福祉法)が制定されたのは1960年、精神障がい者が公的に障害者の範囲に含まれたのは、1993年の障害者基本法の成立まで待ちます。したがって戦後日本の国家としての障がい者福祉の始まりは、身体障がい者に限定された福祉でした。むろん「生活保護法」や「児童福祉法」は、障がいの有無、障がい区分に関係なく、その対象になります。
その後改正を行いながら、身体障害者福祉法は現在まで存続しています。身体障害者手帳は、この法律で規定されています。
「社会福祉事業法」 1951年
「生活保護法」「児童福祉法」「身体障害者福祉法」などが整備された後に、福祉サービスを実際に提供する事業者と行政の関係を規定したのが、社会福祉事業法です。
この法律で、公益性、安定性、非営利性などの制約を課した社会福祉法人を規定し、国が「措置」として行う障がい者福祉サービスを、民間の社会福祉法人に、「措置委託」することが制度として確立しました。
このスキームが考案された背景には、憲法第89条に「公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、公金を支出し、又はその利用に供してはならない」という規定があり、民間の事業に対して公費を投入できないという事情があります。
戦後日本の障がい者福祉の枠組みを決めた法律です。社会福祉事業法は名称及び内容を改正しながら現存します。この民間活用による措置委託形態は、2003年の支援費制度導入まで続き、措置が契約に変わった後も、主なサービス提供者は民間事業者で、行政が報酬を支給するスキームは、現在まで変わりません。
「学校教育法」 1947年
学校教育法により、障がい児に対する特殊な教育を行う学校として、盲学校、聾学校、養護学校が制度化されました。
そして就学の義務化が明文化されましたが、重度の障がいがある児童生徒は就学免除、就学猶予が認められました。これにより、実際には重度の障がい児は、ほとんどの場合、就学が許可されませんでした。
就学免除、就学猶予措置が廃止されたのは1979年です。この就学義務化の反作用として、普通学校から障がい児が排除される動きが各地でおこりました。インクルーシブ教育は現在まで続く進行形の課題です。
日本の障がい者福祉は、戦後の混乱と制約のなかで、理想と現実の大きなギャップを抱えながら、その一歩を踏み出しました。
(本稿は2021年1月に執筆しました)