静岡県掛川市の「ねむの木学園やさしいお店」は、城下町に相応しい外観の小さなお店です。小物雑貨やガラス作品などの「ねむの木学園」グッズの売場と喫茶スペースがあります。現地の状況を紹介します。
城下町掛川は歩道や施設の整備が進み、車椅子でのまち歩きが楽しめます。掛川駅から掛川城までの一帯がまち歩きの中心です。駅北口から天守閣方面まで、真っすぐにのびる道があります。車椅子で通行しやすい歩道が整備されたメインストリートです。
「ねむの木学園やさしいお店」は、このメインストリートの駅とお城の中間点付近にあります。
まち歩きエリア一帯は、城下町風情が漂う建物がいくつもあります。「ねむの木学園やさしいお店」の外観もお城風の造りです。そして学園の生徒が描いたと思われる画が壁面を飾ります。車椅子でまち歩きをしながら、ゆっくり鑑賞できる外観です。
「ねむの木学園やさしいお店」は、メインストリートに沿って横長のお店です。店内に入るとお店の奥行きは余裕がなく、車椅子では移動がギリギリの幅の店内通路です。それでも混雑していなければ、車椅子での店内利用は可能です。
今回取材時はスタッフ1名で営業中でした。不定休なのでHPでは「ご来店の際は、お問い合わせください」となっています。
店内には様々な「ねむの木学園」グッズが販売されています。宮城まり子さん製作のガラス細工アクセサリーも販売されています。「ぜひ買ってください」という自筆のコメントが掲示されています。
城下町掛川は車椅子で観光できます。まち歩きの際には「ねむの木学園やさしいお店」にも、お立ち寄りください。
≪ねむの木学園について≫
宮城まり子さんと障がいとの出会いは、1960年に女優として脳性麻痺の子どもの役をやったことだそうです。
養護教育が義務化されたのは1979年。「ねむの木学園」が「養護施設」として開かれたのが1968年です。法律が整備され施行される10年以上前に「ねむの木学園」は誕生しました。
開設当初は私設の「養護施設」。肢体不自由児が生活する施設で、その施設内に公立学校の分共場があり、障がい児が教育を受けるという施設でした。
その後、養護教育の法整備がすすみ「私立ねむの木養護学校」に。
更に法整備が進み、高校卒後の障がい者でも生活できる「肢体不自由児療護施設」へ。
そして、健常な人と障がいのある人がともに仕事をして生活をする「ねむの木村」という、現在の施設に進んでいます。
「ねむの木村」は1999年の開村。現在に至ります。
「ねむの木村」は掛川市北部の山の中にあります。実際には違いますが、一つの山が「ねむの木村」というイメージです。
一般道から「ねむの木村」に向かう道に入ると、すぐに道の横の崖の壁に「ねむの木学園」の生徒が描いたであろう「画」が描かれています。それほど整備された道ではありません。やや狭い箇所もあるので、運転には注意が必要です。
「ねむの木村」には、有料の美術館、資料館と、パン屋さんなどのショップが建設されています。健常な人と障がいのある人がともに仕事をする場所です。
養護学校としての「ねむの木学園」があり、そして障がい者生活施設としての「ねむの木学園」があります。かたまって各施設があるというよりは、山の中に施設が点在しているイメージです。
したがって、駐車場に車を停めて車椅子で各施設を廻るという環境ではありません。施設間の距離があり、村内は道のアップダウンがあります。目的地を定めてそこに車を停めて行く。車椅子の人にはそういう利用方法をお薦めします。
「ねむの木学園」で行われている、絵画、工芸製作、音楽などの取り組みは、感性と感受性を大切にすることで集中力を養う教育=集中感覚教育という手法です。
「すべての人々に対し、その能力を生かし、人として正しい生活を送ることができるようにする」。これが教育方針です。
宮城まり子さんは2020年3月、お誕生日に93歳で永眠されました。
(本稿は2015年8月の取材に基づいています)