東京都文京区小石川の「伝通院」は、車椅子で境内に立ち入ることができる寺院です。現地の状況と寺院の歴史を紹介します。
伝通院の寺歴概略です。開山は1415年。その後小さなお寺として続いていました。転機は1602年、徳川家康の生母である「於大(おだい)の方」が逝去。法名を「傳通院殿蓉誉光岳智光大禅定尼」と号し、この寺を菩提寺としたことから「傳通院」と呼ばれるようになり現在に至っています。
「でんづういん」と濁音で読みます。宗派は浄土宗。江戸最盛期には1000人の学僧が修行した大寺院であったと伝えられています。
伝通院は著名人の墓が多い寺院です。徳川家では、千姫、孝子の他、若くして亡くなった将軍の子息子女が多数。作家では佐藤春夫、柴田錬三郎、他。
指圧で有名な浪越徳次郎氏のお墓「指塚」もあります。指圧を模した墓標です。ちなみに浪越氏の指圧の学校は伝通院通りにあり、この学校にも指圧を表現したオブジェがあります。
空襲で全焼しているので、残念ながら歴史的な建造物は全く残っていません。ただし著名人のお墓は焼け残っています。現在の本堂は1988年に再建。山門は2012年に再建されました。
文豪の作品にも登場します。代表は永井荷風。他にも、夏目漱石、二葉亭四迷、菊池寛、徳田秋声、岡本綺堂、中里介山・・・。現代では読まれることが少なくなっている文豪の作品に、伝通院はよく登場します。おそらく昔は、作品を読んでこの地を訪れる人も多かったのではないでしょうか。
司馬遼太郎さんの作品によれば、新撰組の近藤勇が師範代だったころの道場は、伝通院のすぐ隣にあったそうです。
駅からはやや距離があり、かつ地形として高台の上にあるので、上り坂を行きます。地下鉄の春日・後楽園駅からなら「富坂」を上る、飯田橋方面からなら「安藤坂」を上る立地です。
境内には40台を収容する駐車場があります。葬儀などが行われていない時は、一般参拝者も利用できます。ただし駐車場は砂利路面で、車椅子での移動は快適ではありません。
境内は全体的にバリアフリーではありません。
2012年に再建された山門は段差があり、車椅子では通行不能、横の車道から入ります。
1988年に再建された本堂は階段形式です。
境内に公衆トイレはありません。
古いお墓のエリアは、未舗装路や段差のある石畳路です。車椅子では、無理なく移動出来る範囲は限られます。
有名人の墓地エリアに入るには「事務所でお線香を買ってください」というルールになっています。
周辺の状況です。江戸の仏閣密集エリアとしては「谷根千」が有名ですが、伝通院周辺も数多くの寺院が現存しています。明治期の廃仏毀釈の嵐に耐えたお寺群です。
文京西方方面へ抜ける伝通院のすぐ前の坂は「善光寺坂」。長野の善光寺と伝通院の交流の跡を伝える名称といわれています。
伝通院は江戸初期から歴史の舞台になり、明治以後の文豪の作品にもたびたび登場するので、知名度は高いお寺です。しかし観光客がほとんど来ない、とても静かなお寺です。
文京区の「護国寺」の詳しいバリアフリー情報を別稿で掲載しています。ぜひご覧ください。
(本稿は2019年9月に執筆しました)