今までに実際に出会った、幼児の頃からよく知っているダウン症の人の、成長の実録を紹介します。
A君。
未就学年代は市立保育園に在籍。ユーモアのセンスがあり、いつも園の人気者。特にコミカルな動きや、間のいいボケが好評。はしゃぎ過ぎて怒られることもありますが、全くメゲズに毎日登園。ほとんど休むこともなく、滑り台、ブランコなどでも上手に遊べました。
小学校は徒歩20分の小学校の特殊学級に入学。1年生から毎日自分一人で登校。
中学高校は、特別支援学校に路線バスを使って通学。ほとんど皆勤賞に近い生活ができました。
卒後、一般就労は難しく、A型の通所施設で働いています。
B君。
未就学年代は地域の障害者施設に通園。
小学校は、いったんは肢体不自由児中心の特別支援学校に入学しましたが、元気すぎるくらいに走り回るので、先生の薦めもあり2年生から知的障害児中心の学校に転校。
元々発語はほとんどなく、この頃から物を投げるなど暴力的な行為が目立つようになったため、行動を安定させる目的の薬の使用を開始。
薬効によってか、ボーっとしたおとなしいタイプに大変身。周囲では、賛否両論の議論が渦巻きました。親の判断により薬の服用はその後も継続されました。
その状態で特別支援学校の高校に進学。
卒後は、A型の通所施設は難しく、B型の障害者通所施設に通っています。
C君。
幼児期から体力的に弱く病気がちなタイプ。未就学年代は、ときどきお教室に通うこともありますが、家庭内で過ごすことが多く、母親べったりの生活が中心。
肢体不自由系の特別支援学校に進学。重度脳性麻痺の生徒たちと同じ教育プログラムの中で成長。
小5の時に、母親が癌にかかり入院。約3か月間、父親とだけの生活、施設への一時入所などを経て、母親が復帰。この経験を機に親が子離れを実践。
中学は、知的障害児中心の学校に進学し、本人には難しいレベルの勉強にも挑戦。
特別支援学校の高校に進学。普通高校の学習に準ずるクラスには入れずに、自立活動中心の授業を受ける。
卒後は体調が悪く、自宅での療養中心の生活になっています。
20歳のダウン症の人で大学に進学されている人もいますし、20代後半で一人暮らしを成功させている人もいます。
ダウン症は一般に、知的あるいは運動系の障害、病気への低抵抗力など共通する障がいがありますが、一人一人の人生はそれぞれです。
(本稿は2019年11月に執筆しました)